物心二元論

訳の分からない持論を'でっちあげて'は、それで自分を縛って不自由にしているように見えるとおもうが、私は自分自身にそれを課していかなければバラバラになって、私を成すものが解散してしまうような気がしてならない。

誰がなんと言おうが言わまいが、私は物心二元論を支持している。(他の人を説得することには興味が無いが)それは小さな頃からの体と心とがバラバラに感じていることへの違和感の積み重ねが所以である。

物心ついてから割と長いこと頭が自分の脳味噌から浮いているように感じていたし、未だに調子が悪いと頭がフワフワする。

体と心との力関係は心が強く、支配的な意見ばかりいう。心は、体がないとそこに居られないと分かっているからこそ、強く出ないと自分の居場所を作れないと感じているし、体はその事実を知っているからこそ心に強い立場を譲ってあげている。
私は、私の中は彼らの微妙で絶妙なバランスによって基礎が築かれている。
私自身、正直肉体が邪魔だと感じることが多々ある。物体が物体である状態を維持するのは何かとエネルギーを使う。
小さい頃、(安いSF映画のようだが)電気の棒を沢山刺された脳味噌になりたいと思っていた。どこかの実験室で、肉体をうしなって脳味噌という形でそこに生かされ続けるという希望と絶望。その激しいコントラストが非常に気持ちいい。

心に力なんて与えなければ生きやすかったかもしれない。
二元論を私生活に持ち込まなければもっと明るく生きることができたかもしれない。
でもそれでもたとえでっちあげだとしても私が私の形で生きるにはどれも必要なことである。