作る側への憧れ

ずっと、ちゃんと作る側の人間になりたかった。
私の作品やパフォーマンスの真似事は、ただの負のエネルギーを消費するためだけの、エネルギーが高いだけのものでしかなかった。本当に真似事、おままごと。
故に周りのクリエイティブな人達とは全くことなるただの自己顕示欲だけの人。
一緒に話して一緒に何か作るメンバーに入れてもらえるの、自分は何も出来ないとわかっているため、とっても嬉しくてワクワクする反面、心苦しさが付きまとった。
やっと作る側の人間になれそうで、だからとても嬉しい。
本当に嬉しい。
誰かの役にたてるかもしれない。

ずっと、ちゃんと作る側の人間になりたかった。
私の作品やパフォーマンスの真似事は、ただの負のエネルギーを消費するためだけの、エネルギーが高いだけのものでしかなかった。本当に真似事、おままごと。
故に周りのクリエイティブな人達とは全くことなるただの自己顕示欲だけの人。
一緒に話して一緒に何か作るメンバーに入れてもらえるの、自分は何も出来ないとわかっているため、とっても嬉しくてワクワクする反面、心苦しさが付きまとった。
やっと作る側の人間になれそうで、だからとても嬉しい。
本当に嬉しい。

強い自分と弱い自分

強い自分になれたら、弱かった自分のことをタトゥーにして彫りたい。
強い自分って?
精神的に折れない、タフな心。芯を通して。休む時は休む!心の声をきけて、心身と対話する。
そうなったら、もっと自分として生きやすいだろうなぁ。
自分を生きやすく設計することを良しとして少しずつ組み替えていけたらなと思う。

もうすぐ春。東京に雪は積もらなかったけど、今季の私の心にはたっぷり雪が積もった。雪解けが待ち遠しい。

平成の終わりに向けて

平成生まれのアラサーな私は、たまたまこのタイミングで転職とか新しいことを始めたりとかしていて、自分史を振り返る。
当時流行った歌手がYouTube公式チャンネルを作っていて、CDを掘り出さなくてもMDを探さなくても聴けるものも多い。
コメントを見るのが好きなので大体目を通す。「平成が終わる」と年号に絡めたコメントが多い。
このタイミングで自分を振り返る時間を持てるなんてすごくラッキー。平成を振り返る特集を見るこことほぼイコールだし。

心が枯れたぶん、少しだけ生きやすくなって。
体がとしをとったぶん、心の上下についていけなくなって。
幼少期、特に人並な幸せな未来を想像していなかったんだけど、もうちょい精神的にマシになって欲しかったなぁ!時間かけたんだけどなぁ!

小声でしか言えないこと

小声でしか言えないこと。

セルフネグレクトなきらいがある。
自分自身にご飯を食べさすのもやっとだ。毎朝なんとかシャワーを浴びて人の形を保ってる。
他人の目が気になる外面の良い人間でよかったな、と思う。じゃないととっくに破綻しているだろう。

何かを飼育するのができない。
比較的放っておけるペットを飼ってるが、数日ほったらかして、覗きに行くのが怖かったりする。
炊飯器のふただとか、放置されたお弁当とか、蓋をしたトイレのゴミ、流しの生ゴミ受け、飲みかけのペットボトル……そういったものは容易くパンドラの箱と化す。
ダメな自分ごと、ひとつの袋へぶち込んで捨てられればいいのに。

周りの友人のように子供を持つなんて私には絶対に無理だなと、自分の状況を見て思う。
放置してしまうのではないか。
それなりに人の心はあるから、頑張ろう頑張ろう…とすると思うし、なんとか持たせられると思うけど、でもそうして数年、突然心の糸が切れて何も出来なくなるのではないかという恐怖がとてもある。
子供を作りたい、育てたいとは思えない所以である。

この感情が単なる落ち込みなのか、疲れなのか、鬱状態なのか、ホルモンバランスなのか、原因がわからないが、ここ2週間はそんなドロドロに覆われていていつもよりも非道い。毎日の浮き沈みさえなくずっと沈んでいる。じっと砂底に腹をくっ付けて鰓と口だけパクパクさせている金魚のようだ。
売り場にそんな金魚がいたら心配するのに、そうなっている自分自身は救えない。

助けてあげられたらいいのに。

信仰

私の最近の信仰について。
ドキドキするけど告白したい。
信仰といっても、なにかの神様をとかそういう話ではない。
あえて「信仰」と名付けた。心を軽くしてくれるから。
私はそれを時間軸信仰と呼んでいる。
2018,4,24と25あたりにパラレルワールドについて書いたと思う。それだ。
自分よりあとの時間に生きる自分に対して思いを乗せること馳せることそれが時間軸信仰。
それによってグルグル回るマイナス思考や思い出して落胆することがなくなったのだ。
だって既に振り返って過去に届けているから。あとはそれを受け取れた過去の自分が修正して過ごしてくれればそれでいいから。
……勿論矛盾が非道く生じているのは承知の上だ。
この考えが成り立てば、ミスをしなかった過去の自分はもう既に今の私とは異なる内容の人生を歩んでいるはずだし、それが多々あったならば全く違う人生を歩んだであろう過去の自分に語りかけたところで何も起きない。
それはそれなのだ。それでも私は過去の自分に伝えるという目標を決めることで、以後無駄に悩みのループに入らなくて済むのだ。
「終わったことをいくら後悔してもだめだって」
「思い出して落ち込むなんていいことないじゃん」
わかっていても繰り返してしまった長年の悩みを打ち切れたのだ。それだけで信じる価値があると思った。
勝手に言って勝手に考えているだけなのだけれど。

先日こんなことを家で勇気を出して話してみた。話した影響なのか、『LOOPER』ルーパー(だったと思う)という映画を家の人が見せてくれた。ブルース・ウィリスが出ていたおかげで見やすかったし興味深い内容だったな。

当面、癖がなくなるまではこの信仰を続けるだろう。

また不思議な夢をみた

2回連続夢日記化してきている。
そんなことは置いておいてさっそく。

ひとりぼっちの小学生くらいの男の子。
夜にひとりぼっちなことに不思議に感じで声をかけて保護するが、誰にも言わないでと必死に懇願。
スマホアプリのゲームの話をすると喜んでのってくる。一緒にそれをしたりしてアイスブレイク。
親と喧嘩したこと、やってはいけないことをしたこと。これから自分で警察に行かなければならないが、覚悟がつかなかったことをポツリと話しはじめる。
アプリの自己ベストを塗り替えたところで、さぁこれで僕の人生は終わりだ、と言い警察へと向かった。
非常に聡明そうな謙虚な男の子だったのが印象的だった。