2018/04/28 テーマの螺旋階段

2018/04/28
夏のような日差し。快晴。

この日記を通して、私はまた私自身との繋がりを強固にしていっている。他人の入る余地のない、自己との繋がりは盲目的で現実的ではないように思う。しかしそうやって半ば思想的に追い込むことで生まれるイメージや考え方もある。もう少しこの一連の、自己の中にある人格や精神と肉体のテーマを突き詰めて考えてみるつもりだ。

大人になって「大人ってもっと大人だと思ってた」と思った。ただ歳を重ねただけで10年前20年前と考えていることはさして変わらないのが本当なのだ。蛹から蝶に変態するわけでもあるまい。中身はそのまま、皮膚が弛んで身体機能が緩やかに衰えていくだけ。

おつむの中身は大して変化もなく、同じようなことを考えて以前と似た選択をしていく。
実際私は幼少期から、今のように数日に渡って同じテーマを考えてその当時の1番納得いく答えを導くという遊びをやっていて、それはずっと続いている。テーマはまぁ色々。

ふと何かのきっかけで、扉が目の前に現れる。それを開けると螺旋階段が存在し、登る。その長さは毎回違うが、ある程度行くと出口の扉があり、開けて出る。
……そんなイメージ。
何度も考えてるテーマは螺旋階段の途中から始まって、また考え直す。そうすると以前とはちょっと違った考え方に辿り着いてそれに納得したりする。それが面白い。そしてどの経験がその違いを生んだのか考察するのが面白い。
尤も、この日記のように記録に残すことをほぼしていないのであくまで記憶の中だけの曖昧な話なのだが。
色々取り除いた虫の目なのでどうしても極論気味になってしまう。それを文字にすると影響力がすごくなって飼いきれなくなる感覚があるから、気を付けて文字にしたいと思う。読んでるあなたも影響されないようにして。他人の他人自身への考察。あなたにはなんの関係もない。