2018/04/27 自分と精神と肉体

2018/04/27
晴れた金曜日。4月が終わってしまう。

もし私が二人いたらそこで世界は完結するかもしれない。
しかし全く別の個体だと思うように行かなかったりどちらかが行動して新たなみちを作るかもしれない。
そう考えると内側で別れていて争ったりしているほうがいい。裏切らない関係がそこにある。
私は私の信頼を得、動き、考える。私はそんな私を叱咤激励し、時に甘やかし、激怒する。たとえ信頼がなくても動いていかねばならぬのだ。
他人との関係性は期待や信頼ができなくなった時に離れてしまって、そこから再起や決意をしたとしてもその人は変わらぬ距離で見届けてはくれぬ。とても脆いものだ。
その前提がない分、自分と自分の関係性はシンプルで強固だ。

意識は自己暗示や自己認識でどうにでもなる。肉体はそうは行かないから、それだけすこし厄介。
いつまでも肉体は私の意識の外側で不随意的に動く。不随意運動である以上精神は肉体を掌握できない。つまり肉体の方が精神を所有している。どれだけ肉体と戦えるかが勝負なのかもしれない。肉体を鍛えたり、虐め抜いたり、そういうことだ。

精神が肉体に反発する。
肉体は何も言わない。
肉体はなにも言わず、生命活動を止めることで私との戦いに終止符を打つ。
肉体の勝利。
決定権は肉体にあり。

頭のペースに追いつけなかった結果論理の飛躍が強めに起こってしまった気がする。しかし手直しせずこのままにしておく。あんまり考えると自分がバラバラになりかねない。

そんなことを考えていたせいか今日は手と足、頭とが別々に動いて非常に厄介だった。肉体に反乱されたらほとほとに困り果ててしまう。