2018/05/04 5月になって

夏みたいな天気だ。はるってひと月くらいしかなかったんだっけ?となるような今年の天気。

先月まで言葉が溢れて仕方なかったんだけど5月になったらピタリと止んた。なんだろう。なんでだろう。自分自身も少し落ち着けた。
それでも先月で頭がフル回転した恩恵か、感受性はあがってきており、なにかを作っていたころの感覚が少しずつ戻ってきている。昔は破天荒で、バランス保てなかったけどいまならバランス保ちつつものが作れそうな気がする。

2018/04/30 備忘短文

2018/04/30
快晴、陽射しが強く、少し風もあった。窓を開けていると気持ちいい天気だった。

書きたいこと思いついたのにわすれた。
夢をみて、メモしたのに内容忘れた。
そんな日だから備忘用の短文を。

痛みを伴えば進化できそうな気がしてる人達がいて、本当にそうだったら彼らはとても強い。

本当はもっと思ったことを素直に口に出した方がいいのかもしれない。

文字を書く時に脳の何処が使われているのかに着目してみたい。友人は後頭部が熱くなると言っていた。

2018/04/29 肉体を所有するということ

2018/04/29
快晴。夏のような日差し。木々の葉の緑。
私の肉体は私によって所有されていて、どう使おうが私の勝手ということ。リスカとか身体改造とかの話になると「親がかなしむ」「親からもらった大切な体を傷つけるなんて」と言う人がいるが、親の体内から出てしまった後は私のものだ。親は私と片時も離れず死ぬ時まで一緒にいる?いないよね。それと同じで恋人だって自分の子供だってずっと一緒ではない。自分と片時も離れず一緒にいるのは自分なのだ。

マイホームを買うとして、日当り風通しを気にするでしょ。部屋数や水周りにも拘ったり。だって死ぬまで住むんだもん。それと同じ。死ぬまで一緒にいるから整形でも身体改造でも手を加えることで理想的に変えられるのならしたらいいと思う。

後悔するのは多分よほど衝動的にやったか、変化を許容できなかったかなのでは?(整形だと理想と違ったって事由もあるか)
それが自分と思って考え抜いた末の行動でしょ?それならその自分の形に、自信をもちなよ。
それがあっても住みやすい受け入れてくれる触れないでくれるコミュニティにいけば、いいだけじゃないか。君のままの君を受け入れてくれるところを探せばいいんだ。君が等身大の相手を愛せて、等身大の君を好いてくれるひとを探せばいいんだ。

おつむの中はたいして変わらない。だから今の自分の考え方や感じ方に自信を持って。肯定することでそれが血肉となり自分を作っていくんだから。自分以外の誰かに思考や肉体を乗っ取られるな。任せるな。いや、任せてもいい。ただきちんと区別して置いておけ。そうでないと自分の手で自分の形成をする時に邪魔をして苦しむかもしれない。

2018/04/28 テーマの螺旋階段

2018/04/28
夏のような日差し。快晴。

この日記を通して、私はまた私自身との繋がりを強固にしていっている。他人の入る余地のない、自己との繋がりは盲目的で現実的ではないように思う。しかしそうやって半ば思想的に追い込むことで生まれるイメージや考え方もある。もう少しこの一連の、自己の中にある人格や精神と肉体のテーマを突き詰めて考えてみるつもりだ。

大人になって「大人ってもっと大人だと思ってた」と思った。ただ歳を重ねただけで10年前20年前と考えていることはさして変わらないのが本当なのだ。蛹から蝶に変態するわけでもあるまい。中身はそのまま、皮膚が弛んで身体機能が緩やかに衰えていくだけ。

おつむの中身は大して変化もなく、同じようなことを考えて以前と似た選択をしていく。
実際私は幼少期から、今のように数日に渡って同じテーマを考えてその当時の1番納得いく答えを導くという遊びをやっていて、それはずっと続いている。テーマはまぁ色々。

ふと何かのきっかけで、扉が目の前に現れる。それを開けると螺旋階段が存在し、登る。その長さは毎回違うが、ある程度行くと出口の扉があり、開けて出る。
……そんなイメージ。
何度も考えてるテーマは螺旋階段の途中から始まって、また考え直す。そうすると以前とはちょっと違った考え方に辿り着いてそれに納得したりする。それが面白い。そしてどの経験がその違いを生んだのか考察するのが面白い。
尤も、この日記のように記録に残すことをほぼしていないのであくまで記憶の中だけの曖昧な話なのだが。
色々取り除いた虫の目なのでどうしても極論気味になってしまう。それを文字にすると影響力がすごくなって飼いきれなくなる感覚があるから、気を付けて文字にしたいと思う。読んでるあなたも影響されないようにして。他人の他人自身への考察。あなたにはなんの関係もない。

2018/04/27 自分と精神と肉体

2018/04/27
晴れた金曜日。4月が終わってしまう。

もし私が二人いたらそこで世界は完結するかもしれない。
しかし全く別の個体だと思うように行かなかったりどちらかが行動して新たなみちを作るかもしれない。
そう考えると内側で別れていて争ったりしているほうがいい。裏切らない関係がそこにある。
私は私の信頼を得、動き、考える。私はそんな私を叱咤激励し、時に甘やかし、激怒する。たとえ信頼がなくても動いていかねばならぬのだ。
他人との関係性は期待や信頼ができなくなった時に離れてしまって、そこから再起や決意をしたとしてもその人は変わらぬ距離で見届けてはくれぬ。とても脆いものだ。
その前提がない分、自分と自分の関係性はシンプルで強固だ。

意識は自己暗示や自己認識でどうにでもなる。肉体はそうは行かないから、それだけすこし厄介。
いつまでも肉体は私の意識の外側で不随意的に動く。不随意運動である以上精神は肉体を掌握できない。つまり肉体の方が精神を所有している。どれだけ肉体と戦えるかが勝負なのかもしれない。肉体を鍛えたり、虐め抜いたり、そういうことだ。

精神が肉体に反発する。
肉体は何も言わない。
肉体はなにも言わず、生命活動を止めることで私との戦いに終止符を打つ。
肉体の勝利。
決定権は肉体にあり。

頭のペースに追いつけなかった結果論理の飛躍が強めに起こってしまった気がする。しかし手直しせずこのままにしておく。あんまり考えると自分がバラバラになりかねない。

そんなことを考えていたせいか今日は手と足、頭とが別々に動いて非常に厄介だった。肉体に反乱されたらほとほとに困り果ててしまう。

2018/04/26 金魚

2018/04/26
今日は久々の快晴。
金魚の夢を見た。
赤い金魚1匹が水槽にいて、水槽に合わない温度計と証明で水温が高くなって死にかけてた。
どうにか助けようと、それらを設置した人に掛け合う夢。

金魚は昔から時折夢に出てくる。
入れ物の中で、鮮やかな体色を個性とする金魚はちょっと自分と重なって。
入れ物から逃げると、目立つ体色ゆえ食われるか、それを失って生きていくかになる。

と思ってたんだけど、調べると赤いまま巨大化して生きてる個体もいるからそのままでも生きていけるのかも。
それでもお家の水槽で丁寧に育てられた金魚と外の池で育てられてる金魚とでは色も体の線も美しさが段違いになるようだから間違ってもいないよね。

2018/04/25目標

2018/04/25

私には目標がある。
それは過去の自分と街中ですれ違ったときに過去の私が「あのひとなんかかっこいいな」と振り返っちゃう自分になること。

服装のかっこよさもあると思う。
佇まいのかっこよさもあると思う。
なにも語らず、姿でそう思わせるのは結構ハードルが高いと思うので、まだ目標段階だ。

昔の自分が今の私をみて、こうなるならまぁイイじゃんって思えるかどうかって指標はすごく大切でわかりやすい。
よくよく考えると、何が自分にとって大事なことか見えてくるシンプルな指標だと思う。
想像してそんな大人になりたくなかったと思ったら今からでも何かアクションを起こせばいい。

あともう1つ。リストカットしてても病んでても社会で生きていけるんだ、生きてやるんだって若い人達に示すのも目標というか生きる理由のひとつではあるかな。