不思議な夢を見ました

初夢になるのかな。
不思議な夢を見ました。

夢の中で過去に行った所にあまり行くことはないんだけれども、過去に行ったことのある宗教施設にいる。
以前勧誘されて社会勉強的なノリで行ってみた感じ。そこで親に連れられてきたであろう小学生くらいの子供たちと会う。
教祖が説いていて大人たちは真剣に聞き入っている。
端の方に集まった子供たちの中で親が金持ちで5万の服を着ていると自慢する女の子と取り巻き。貧乏なおうちの女の子を馬鹿にしていじめている。泣いている彼女を、見てか見えぬか何もアクションをしない大人たち。
非常に腹が立って、その子の手を引いて外へ行こうと誘った。
教祖が話している中そんなことをするのは怒られるだろう行為だとは思ったが、目の前で泣いている子も助けられないで何が宗教だよ!と怒りを込めてギロリと睨むと誰も何も言ってこなかった。
その女の子をおぶってその子の弟を連れて夜の街に出た。2人とご飯食べにいく約束したのでと体裁的に受付の人に声をかけて。
泣きながらおぶわれたその子に、生まれた家の環境で他人を馬鹿にする人の相手はしなくていいこと。でももしかしたらその子もお金の心配はないだけで他の不満があってあなたにちょっかいを出してるかもしれないこと。自分のことは自分で決めていいことを伝えた。
そんな夢だった。

普段あまり見ない類の夢だった。
躊躇したものの、ええいままよと行動に移した心の動きを覚えている。
年の頭に見るにしてはちょっと意味深すぎやしないか。2019年。

苦行じゃない、生み出すを。

何かを作り出すことをしたくって。
今までに色々な表現方法を思い付くままやってきて、特に学ぶつもりもないから自分の好きなようにやってきた。
色んなことをした。

やっぱり学ぶ必要も感じて、中でも学びたいものを学んだ。
やっと、こんな根無し草の自分にも、技術という根ざすものが出来て、これを根拠にやっていけるそう思った。
いつもいつもマイナスな感情から作品を作っていた私だが、そんなに生きづらい感情に頼らず楽しく作品が作りたいな!と思っていた私なのでそれはもう喜んだ喜んだ。こんな私でも平常心で出来る表現手段を手に入れられたんだと思った。

その手段でなにかを作るに集中したら、やっぱりマイナスの感情が知らぬ間に強くなっていたことに気付いたとき、かなしくなった。やっぱりここから抜けられないのかって。私はずっと私の中の哀しみに向き合って付き合っていかないとものが作れないなんて。
お金も稼げず、人に認知されぬまま、継続して制作を続けられずにひたすらに自分の感情と相撲。なんて苦行だ!

結局ずっと幼稚園児の自分と変わらないままだ。
ただ、私は、子供の自分が私を見た時にカッコイイ大人のひとだな!と思いたいだけなの。

感情の統率

感情の統率がとれなくなっている。
時々ある、手網を持てないくらい暴れ出しそうな予感。
ひどくアイロニーな気持ちでつっかかる。
切り捨てられそうと感じると噛みつきにいくし、揚げ足をとる。

日々の承認欲が満たされてないわけではないと思うが皮肉に悪態つく癖に嫌われたくないという気持ちが根底にある。厄介でしかない。

自傷ができたら楽なのに、とまたつまらぬことを考えては。

痛みと怒り

身体が不調だ。
左腰を痛めてしまい、庇った結果右腰の爆弾のカウントダウンが始まってしまった。

私の腰はその日のうちに、私によって説教され、金庫に入れられ、ボコボコに殴られ、切り刻まれ、丸められ、キャッチボールのされ、ほろほろになる迄よく煮込まれた。
勿論想像の中でだが。

腰を煮込んでしまうほどだ。怒りが沸いている。
過去の様々な出来事に対してにも怒りの矛先が向く。

もしかして、もしかしたらこの、1人で吐いている過去の怒りを、きちんと相手にぶつけられたら身体から痛みが消えてなくなるのかもしれない、ふとそう思った。
身体の痛みは、行き場のない怒りで、私の心や頭が無意識的に絶えず身体にぶつけていて、キャパシティを超えた時に痛みとなってあらわれているのかもしれない。
そうだとしたら、原因が「歪み」なのも合点がいく。

性根が曲がっている、素直じゃない、子供らしくない、可愛くない、そう言ったあなたに聞かせてあげたい。

物心二元論

訳の分からない持論を'でっちあげて'は、それで自分を縛って不自由にしているように見えるとおもうが、私は自分自身にそれを課していかなければバラバラになって、私を成すものが解散してしまうような気がしてならない。

誰がなんと言おうが言わまいが、私は物心二元論を支持している。(他の人を説得することには興味が無いが)それは小さな頃からの体と心とがバラバラに感じていることへの違和感の積み重ねが所以である。

物心ついてから割と長いこと頭が自分の脳味噌から浮いているように感じていたし、未だに調子が悪いと頭がフワフワする。

体と心との力関係は心が強く、支配的な意見ばかりいう。心は、体がないとそこに居られないと分かっているからこそ、強く出ないと自分の居場所を作れないと感じているし、体はその事実を知っているからこそ心に強い立場を譲ってあげている。
私は、私の中は彼らの微妙で絶妙なバランスによって基礎が築かれている。
私自身、正直肉体が邪魔だと感じることが多々ある。物体が物体である状態を維持するのは何かとエネルギーを使う。
小さい頃、(安いSF映画のようだが)電気の棒を沢山刺された脳味噌になりたいと思っていた。どこかの実験室で、肉体をうしなって脳味噌という形でそこに生かされ続けるという希望と絶望。その激しいコントラストが非常に気持ちいい。

心に力なんて与えなければ生きやすかったかもしれない。
二元論を私生活に持ち込まなければもっと明るく生きることができたかもしれない。
でもそれでもたとえでっちあげだとしても私が私の形で生きるにはどれも必要なことである。

2018/05/10 好きな服を着るというとこ

2018/05/10
小雨曇天からの晴れ。暖かくなるといいな。
今、私は私と仲良くできている。
そのため癇癪もでない。
好きな服をまとい、好きなものも持ち、好きな仕事をするというのはとても大切なことなのだと痛感する。

好きな服を着るということは、単に好きなものを着るということではない。
好きで尚且つ似合うものを着るということだ。
似合うものを着るには自分の体型を理解することから始まる。
身長、肩幅、胸囲、ウエスト、ヒップ……。まず数字を出す。
そして標準より何がどれくらいプラスなのかマイナスなのか把握する。
今までの服で褒められたもの、似合ったものはなんだった?長さが足りないとか余ったとかそういう経験を思い出す。
そこから、体型に似合う服の目星をつける。
それから、色や形、デザインを考察する。
例えば黄色が似合う、大きな柄の服で、膝丈スカートが似合うとか。
その中でもエスニックなのかギャルなのか、スポーティーなのかOL風なのかお嬢様系なのか様々あるジャンルから自分が好きなジャンルを見つける。
今は大きな流行がなくて、小さなジャンルが集まる時代なので、時代遅れだ!なんてことは考える必要のない、いい時代である。そもそもバシッと似合っていればそんな風には見られないと思うけど。

そうやって好きな服を着ていると、人からも褒められるし、着ていて心地もよくなるし、自分を見られたい自分にプロデュースすることができる。何よりも総合効果で自己肯定感が上がる。

自己肯定感が上がると、身体的なコンプレックスを逆に強みにすることができる。
大きな胸の人しか綺麗に着れない服を着たり、背の低い人しか似合わない服装をしたり。きっとあると思うんだ。誰もが出来るわけでない服装が。

2018/05/07 振り返り

2018/05/07
降水確率80%、曇空。数日ぶりの投稿。

10代の頃はハタチを超えるのがこわかった。
ただの一般人なのに、なにか成さなければという焦燥がひどくあった。
地方から出てからはそれはより一層ひどく、その焦りによって突飛な行動を沢山した。計画性もなく、エキセントリックだった。

ハタチを過ぎてから、まぁ別に私だしなぁと思えるようになった。でも以前に飛び込んだ世界が華やかでかっこよく、そこにいる人達が輝いて見えたので憧れだった。どんなに小さくてもステージはステージだし、そこで命を削り昇華している姿は、なにものにも変えがたかった。この人たちを間近でずっと見ていたい、そう思った。

いろんなしがらみもあったけれど、確かにあの時間は私を私にした。自らの手で自我を得る。ディコンストラクション

ずっとそのままでもありたかったが。自分は普通に仕事ができるのかな?と思った。
OLには向いてないとおもったので、技術のいる仕事で正社員になった。
とても頑張ったので、そこそこできた。
ただし、ひとよりも自分を削っていたように思う。一概には言えないが。
肉体も精神も思考回路も捧げた。
その結果好きなことは一切なくなった。好きな洋服の色を忘れた。美味しいご飯もわからなくて、とにかく砂糖含有の多いチョコレートを食べ続けた。

会社に勤めてるときはそれが自分の全てでも、辞めてしまえばなくなる。ポストも思考回路も、備品と同じように貸与されたものでしかない。ごく当たり前のことだがやめてから改めて知った。
ただその会社にいただけなのにこんなに考え方が侵食されてることを。

今?今はどうやればバランスを取れるのか考え中。まず失った自分をまた拾い集めている。好きなものを見に纏い、考えている。

こうやって振り返ると、10代以降も焦燥感が根底にあったのかも。いつもなにかに追われていた。今は1番肩の力が抜けてるかな。
自分の居やすい自分や、居場所をつくろうと環境を整備している。時間は多少かかると思うけど1番前向きかも。